スピリチュアルの世界に関心がある人にとっては東京都にある高幡不動尊にある「生まれ変わり」記念碑は非常に興味深いものですよね。生まれ変わりの概念は、仏教だけでなく、さまざまな宗教や文化に見られる古くからの信仰です。死後、魂が新たな肉体に宿り、再び人生を歩むという考え方は、輪廻転生とも呼ばれ、特に東洋では広く受け入れられてきました。
高幡不動尊の記念碑は、人々が生まれ変わりの現象やスピリチュアルな真実に対してどれほど深く関心を抱いてきたかを示しています。世界中で生まれ変わりの事例が記録され、特に子供たちが過去の記憶を語るといったケースが多く研究されています。こうした事例は、死後の存在や魂の不滅についての関心を呼び起こし、今も多くの研究者やスピリチュアリストによって探求され続けています。
では誰の生まれ変わり記念碑なのか?という疑問についてこれからお話いたします。
文政5年(1822年)の秋、中野村(現:八王子市東中野)に住む勝五郎という少年が、「自分の前世は程久保村(現:日野市程久保)に住んでいた藤蔵という少年である」と家族に言い出したんだそうです。いきなり変わったことを言い出したものですから、家族達も最初は子供の冗談かと思っていました。ところが、勝五郎の話す藤蔵および生まれ変わる瞬間の話はあまりにリアリティがあったため家族達は「本当の事かもしれない」と考え直すようになり、勝五郎は祖母と一緒に一里半(約6キロ)ほど先にある程久保村へと出かけた。程久保村には勝五郎の言う通り、藤蔵という少年が天然痘で早世しており、その藤蔵の顔は中野村からやってきた勝五郎に瓜二つだったという大変驚くべきストーリーですよね。
彼に興味を持った文学者の池田冠山や国学者の平田篤胤といった文人達が勝五郎と直接面会し詳細な記録を取っている。また、明治期に入ると日本研究家小泉八雲の手によって海外にまで紹介されたと言います。
丹波哲郎さんの大霊界の映画とも関わっているそうです。
このような事例は、特に江戸時代の人々にとって、魂の不滅や生まれ変わりという考え方を強く意識させたでしょう。当時の人々にとって、死後の世界や輪廻の意味を考えるきっかけにもなったかもしれません。何よりも国学者という学識ある平田篤胤が、直接現場に行って証拠を集めているところがすごいと思います。
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