緩和ケアに携わる方が下記のような死の捉え方、向き合い方を語られており、大変参考になったのでご紹介いたします。
緩和ケア病棟という場所は、余命が限られた方々が残りの時間をできる限り穏やかに過ごすための場所です。私の仕事は、そのような方々とお話をし、彼らの心に寄り添うことです。日々、多くの方々と向き合い、彼らの思いや感じていることを聞いている中で、ある共通点に気づくようになりました。それは、どんなに強い人でも、どんなに人生を満喫してきた人でも、「全く怖くない」と言う人はいないということです。
多くの方々が「死」を迎えるにあたり、何かしらの恐怖や不安を抱えています。それは、決して表面的な理由だけではありません。たとえば、「まだ整理し終えていないことがある」「行ったことのない場所へ行くのが怖い」といった理由を挙げる方もいますが、その背後にはもっと深い、本能的な恐れが存在しているように感じます。
人間というのは、究極的には「生き物」であり、私たちの体や心には、生き物としての本能がプログラムされているのだと感じます。生まれてからこの世で生きる間、私たちの本能は常に「どうすればもっと長く生きられるか」「どうすればより安全に生きられるか」を探り続けています。この本能は、私たちが無意識のうちに1秒でも長くこの世に留まることを求め、私たちの行動や感情に影響を与えています。
そのため、この世での命が絶えるということは、本能的に感じる恐怖を伴うのではないかと思うのです。この恐怖は、私たちの内に深く根付いており、ある種の「埋め込まれた恐怖」とでも言えるものです。どれほど死を受け入れ、準備が整っていると感じている人でも、この根源的な恐怖からは完全に逃れることはできないのかもしれません。
実際に、患者さんたちと話をしていると、その恐怖が言葉の端々や表情に表れていることがあります。ある人は穏やかに微笑みながら話していても、その背後にある恐れを感じ取ることができる場合があります。別の人は、家族や友人に対して明るく振る舞おうとしていても、内心ではその恐怖と戦っている様子が見て取れます。
もちろん、死に対する感じ方や恐怖のレベルには個人差があります。ある人は恐怖を表に出さず、静かに受け入れる姿勢を見せます。別の人は、その恐怖を言葉や態度で表現し、どうにかしてその不安を和らげようとします。しかし、共通しているのは、誰もが何かしらの形でその恐怖と向き合っているということです。
この経験を通じて感じたのは、私たち人間は本能的に「生きる」ことを強く求めているということです。そして、その本能がある限り、「死」という未知のものに対して全く恐怖を感じない人はいないのだろうということです。どれだけ心の準備を整えていても、本能的なレベルでの恐怖は避けられないのかもしれません。
さて、世界的に超有名なヨギでさえも死には恐れがあるというようなことを言っていたことを思い出しました。
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