介護や看取りをしているとき、多くの人は「自分が愛する人のために」その行為をしていると考えます。例えば、親が年老いて介護が必要になったとき、私たちは自然とその役割を引き受け、手を差し伸べます。足をさすったり、背中をなでたり、食事を手伝ったりする中で、「これはお母さんのため、お父さんのため」と自分に言い聞かせます。彼らが少しでも楽になるように、快適で穏やかな時間を過ごせるようにと、心を込めて世話をします。
しかし、ふと立ち止まって考えてみると、「本当にこれはすべて親のためなのか?」という疑問が浮かぶことがあります。実は、親のためにしていると思っていた行為の中には、自分自身が後悔しないため、自分の心の平穏を保つためにやっている部分が少なくないということに気づくのです。
例えば、親が亡くなった後に「あの時もっとこうしてあげればよかった」「あの瞬間、もう少し優しくできたはずだ」と悔やむことがないように、今できる限りのことをしておこうという気持ちが、無意識のうちに行動の原動力となっていることがあります。これは、親のために尽くす気持ちと同時に、自分のために行動しているという二重の意識が働いているからかもしれません。
この「自分のためにやっている」部分に気づくことは非常に大切です。なぜなら、もしこの事実を認識せずにいると、介護の過程で次第にイライラや怒りが募ってくることがあるからです。親が「ありがとう」と言ってくれない、感謝の言葉がない、あるいは思うように動いてくれないといった状況に直面すると、次第に「こんなに頑張っているのに、どうして…」という不満が湧いてくることがあります。
しかし、「実はこれは自分のためでもあるんだ」と気づけば、その怒りや不満の感情を和らげることができるかもしれません。介護が「自分の後悔を減らすための行為」でもあると認識すれば、感謝の言葉がなくても、「私は自分のためにやっているんだ」という納得が心の支えになります。そして、その理解があれば、介護の過程で感じるストレスやフラストレーションを軽減し、より冷静で穏やかな気持ちで親に接することができるようになります。
この視点の変化は、介護を続けていく上で非常に重要です。誰かを助け、支えようとする行為の中に、自分自身のための要素が含まれていることに気づくことで、より健全でバランスの取れた心構えで介護に取り組むことができます。それにより、介護の時間が単なる負担ではなく、親子の関係を深める貴重な時間となり、結果として双方にとってより良い経験になるでしょう。
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