京都の神社仏閣を巡る

雨宝院 石像寺 千本閻魔堂(引接寺) 今出川・西陣エリアその4 雨宝院(西陣聖天宮)

北向山雨宝院と号する古義真言宗の寺院。
本堂には本尊である大聖天を安置。
821年に弘法大師(空海)が嵯峨天皇の御悩平癒
を祈願して安置したとされ、それが当寺のはじまりという。

今日「西陣の聖天さん」として親しまれている。

観音堂には千手観音立像が安置されている(重要文化財)

大師堂の本尊の弘法大師は「阿吽汗かき弘法大師像」として知られる。
意味は汗をかくほど辛いことでも助けてくれるということである。

境内にある「染殿の井」はその水を用いて染物をすると、
良く染まるとして有名。

さて、順を追って参拝させていただきますと、
歓喜天様のところが、特にビリビリとした空気を感じます。
やはり、天部の神様はより身近に感じることができますね。

石像寺

正しくは光明遍照院石像寺という浄土宗の寺院。
「釘抜地蔵」「くぎぬきさん」で親しまれる。
弘法大師の開基として伝えられ、元は真言宗の寺院であったが、
重源上人が中興して以来、浄土宗となる。

地蔵堂には弘法大師作と伝えられる石造地蔵菩薩立像を安置。
もとは諸々の苦しみを抜き取るという信仰から苦抜き地蔵と
呼ばれていたが、なまって釘抜き地蔵となる。

地蔵像背後の阿弥陀三尊像は鎌倉初期の傑作で、重要文化財指定。
中尊の阿弥陀如来像は1224年に伊勢権朝と佐伯朝巨為家によって
彫られ、翌年に開眼供養したという。

この地は歌人で有名な藤原定家、家隆が住んだ地といい、
定家らの墓と伝えるものがある。

千本閻魔堂(引接寺)

光明山歓喜院と号する高野山真言宗に属する寺院。
地元の人からは「千本閻魔堂で親しまれる」

開基は小野篁(802~853)である。
閻魔法王から精霊迎えの法を授かって、
この地に閻魔堂を建てた。
あの世とこの世を往来する神通力を有していたと伝えられ、
昼は宮中に、夜は閻魔庁に仕えたのだそう。

閻魔さんというと、一言でいえば、冥界の裁判長です。
死者の生前の行いを裁判官が49日の間に審査し、
閻魔さんがそれを基にして判決を下し、死者の来世を
決めるのですね。

本尊である閻魔法王像は2・4メートルあり、
その大きさと形相は迫力があります。

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