京都の神社仏閣を巡る

高雄 神護寺 紅葉 2016

朝晩がとても寒くなってきました。

京都は紅葉真っ盛り。

散り始めているところもあるようで。

さて、本日は数日前に行ってきた高雄の神護寺の紅葉模様を載せていきます。

神護寺は和気清麻呂によって創建され、のちに弘法大師空海が14年間住職を務め、袈裟御前を殺したことを
悔いた遠藤盛遠が文覚と名乗って、荒廃していた当寺を再興した奥深い歴史があります。

その歴史を振り返っていきましょう。

空海と最澄の決別

伝教大師最澄は弟子の泰範らとともに空海より密教の儀式である灌頂を授かります。
この後、なんと、愛弟子であった泰範が空海に師事することとなったために最澄と空海は決別します。
空海の元で学んでいるうちに疑念が生じたのでしょうか。

神護寺は密教の偉大な宗祖二人の決別の地なんですね。

袈裟御前と遠藤盛遠

院御所の北面の警備にあたっていた武士、遠藤盛遠は袈裟御前という女性に一目惚れします。
早速、その女性を調べてみると、なんと従妹であり、かつて求愛までしていた女性だったのです。

怒った盛遠は伯母のもとに飛んで行き、内々に申していた約束を無視した上に同僚に嫁がせた
ことを猛烈に追求します。

困った伯母は袈裟に相談します。
しかし、袈裟は既に盛遠の同僚の武士と結婚している身であったために盛遠と一緒になることはできません。

当然、断ることになるのですが、もしも断ってしまうと、身の周りの人間に危害が加わることに
なるという脅しを盛遠にかけられてしまいます。

意を決した袈裟は盛遠にお願い事をすることにします。

それは
「深夜に洗い髪を頼りに夫を殺してくださったら一緒になります」

盛遠はそれを快諾しました。

深夜になると、盛遠は屋敷に忍び込んで、言われた通り、洗い髪の寝ている人物の
首を刎ねました。

盛遠は喜んだことでしょう。
「これでやっと、好きだった女性と一緒になれる」

しかし、風呂敷に包んだ人物の顔を見ると、なんと、、
袈裟だったのです。

袈裟は周りの人間の身代わりになって自ら殺されたのですね。

盛遠は自分の犯した罪の大きさを恐れ、出家して文覚と名乗ります。

以後は修業に明け暮れ、修業の際に目の当たりにした、荒廃した神護寺の
再興を自身の役目とします。

紆余曲折を経たものの、当時の天下人であった源頼朝の協力を取り付けて、
ついに再興を成し遂げました。

このような歴史をただただ、
ご本尊の木像薬師如来立像(国宝)はじっと見届けておられました。

上記のようなドラマチックな歴史がある神護寺は紅葉の名所で知られ、
人々が殺到します。

平日に行きましたが、かなりの人で、臨時バスまで運行されるほどでした。

なので、ゆっくり参拝したい場合は混雑期をさけるべきですね。

他にも西明寺などの名所があったのですが、疲れ果ててしまったため
諦めて帰路につきました。

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