京都の神社仏閣を巡る

曼殊院門跡 有り難い黄不動と不気味な幽霊 一乗寺エリアその4

曼殊院門跡

狸谷山不動院から歩くこと15分、
曼殊院門跡に到着。

曼殊院はもとは伝教大師最澄の草創に始まる。
是算国士の時に名前を東尾坊とし、
比叡山西塔北谷に移す。
これが8世紀ごろである。

1108~9年に学僧、忠尋座主が住持であった時に
名を今の曼殊院に改める。

1495年、伏見貞常親王の御子息で二品慈運大僧正が入室を期に
以後門跡となる。

1656年、桂宮智仁親王の御次男良尚法親王の時に
現在の地に移る。

親王は御所の北から修学院離宮に近いこの地に
移して造営に苦心されたそうで、庭園 建築ともに
親王の創意によるところが多い。

江戸時代初期の代表的書院建築

本尊は阿弥陀如来

さて、こちらの門跡には多くの重要文化財が
あって狩野永徳筆と伝えられる襖のある虎の間や
大書院、小書院などがそれにあたります。

狩野探幽の絵も見ることができます。

こちらの庭園は名勝庭園に指定されています。
枯山水の立派な庭園。

この時は知りませんでしたが、曼殊院型の
キリシタン灯篭というものが有名らしいです。

庭園を進んでいくと貴重なものを見ることができます。
秀吉の書なども展示されていました。

途中で刀が3本ほど展示されており、それを見ていたら
頭がくらくらしました。

やはり刀というのは何かが宿るのでしょうね。
変な刀を家に飾ると、廃業するみたいなことが
言われますが、本当だと思います。

他にも門跡寺院の住職が使っていた立派な台所
なども新鮮に映りましたし、献立もありましたよ。
内容は松茸など美味しそうなものでした。

さて、最終地点近くになると、大きな見どころである
国宝の黄不動がお祀りされています。
近畿三十六不動尊霊場の17番札所になります。

お参りをすると、体がスッとします。

これで終わりかと思いきや、
少し進むと幽霊という名の鬼気迫る絵の掛け軸が。
眺めていると、猛烈な吐き気をもよおします。

「おかしいなぁこの絵」と思っていると、きっちり
注意書きが

「こちらの絵は絶対に撮影しないでください。
過去に障りが現れた方が居ます」みたいなことが
書かれていました。

これは脅しではなくて事実でしょうね。

どうやら、作者は不明で所有者を転々として
最後はこちらに収められたらしい。
不吉なことが続いたのでしょうか?

絵を見て吐き気がした後にすぐにお不動様に
手を合わせると、元に戻りました。

この絵は本物ですから、写真撮影はNGですよ!

さて、曼殊院門跡を出ると、立派な弁天堂が。
参拝させていただくと、こちらでもお声を
かけていただきます。

これにて曼殊院門跡を後にします。
黄色不動を参った後に幽霊でひどい目に遭う。
それを再び不動明王に救って戴く。

なかなか面白い寺院でした。
ちなみにこちらの絵は2体の不動明王に
囲まれています。

普通の家に飾ったらどうなることやら?

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