京都の神社仏閣を巡る

京都市指定「名勝庭園」 勧修寺 有名な灯篭 山科エリアその2

勧修寺

勧修寺は地名を(かんしゅうじ)と呼ぶが、寺名は
(かじゅうじ)と呼ぶ。

真言宗山階派の大本山で、平安中期の900年に
醍醐天皇の母である藤原 胤子(ふじわらのいんし)を弔う
ために、胤子の母の実家の邸宅をお寺に改めたのが始まり。

勧修寺の名の由来は天皇の祖父にあたる藤原高藤の諡号(天皇や貴族の死後に
送られる名前)をとったことによる。

勧修寺はのちに醍醐天皇の勅願寺となる。
代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えたが、
1470年に兵火によって焼失したが、徳川家と皇室の
援助によって再興。

本殿に御本尊である千手観音を祀る。

書院などの内覧は特別拝観のみで、庭園を拝観することになる。
その庭園は名勝に指定されている。

勧修寺にはこのような逸話があります。

貴人であった藤原高藤は趣味の鷹狩に来ていた所、
にわか雨にあったために宮道弥益という豪族の家で
雨宿りをさせてもらうことにした。

すると、邸宅に住む列子という美女に出会い一目惚れ。
高藤は列子と一夜限りの契りを結ぶ。
そして、ほかの男の手に落ちないように
形見の太刀を渡す。

しかし、なかなか会うことが出来ずに6年の歳月が
経った頃、ようやく再訪することができた。

ところが、列子は幼子と一緒に居ました。

高藤はがっかりしたかもしれませんね。
「ほかの男と既にご結婚されたか」と。
しかし、よく幼子を見ると、自分と瓜二つだったのです。

列子は約束を守って待っていてくれたのです。
そうして、晴れて高藤と列子は結婚します。

この幼子こそが醍醐天皇の母親である
藤原 胤子です。

高藤がきっちりとした男性だったために成立する
お話といえます。

これで帰ってこなかったら地獄行きです;^^

宸殿

明正天皇より、旧殿を賜って作られたといわれる。
江戸時代初期の御所の建物。

勧修寺型灯篭

こちらは書院前庭にある水戸黄門で知られる
水戸光圀公が寄進した素敵な灯篭
また、灯篭を囲むように生えている樹はハイビャクシン
といわれるヒノキ科の植物で、一面一本の樹である。
樹齢は750年といわれ、京都の名巨樹のひとつ。

書院と宸殿と灯篭のバランスが絶妙なお気に入りの一枚です。

勧修寺氷池園

こちらは広大な池泉式庭園で、豊かに咲く睡蓮と蓮の花が楽しめます。
池の周りを一周することができますが、「この先に行かれるのはご自由
ですが、大いに危険」という珍しい看板が立っています。
どこが危険なのかは不明ですが、「池に落ちないように」という
注意喚起だと思われます。

勧修寺は京都一水鳥が多いお寺だそうで、夕方になると琵琶湖から帰ってくるのだとか。
かわいらしいカモ達が気持ちよさそうに泳いでいました。

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。