京都の神社仏閣を巡る

浄福寺 首途八幡宮 本隆寺 今出川・西陣エリアその3

浄福寺

恵照山と号し、浄土宗に属する。
1つには村雲寺という。

こちらは当初は天台宗であった。
782年~802年の延暦年間に賢憬大僧都の開創と
伝えられ、当時二十五大寺の一つに数えられていた。

たびたび火災に遭い、1276年に後宇多天皇の命によって
一条村雲に再建。

1525年に後柏原天皇より念仏三昧堂の勅号を賜り、
浄土宗を兼ねるようになり、のちに知恩院に属する。

1615年にこの地に移転し、現在の堂宇は1733年再建。

本尊 阿弥陀如来像

釈迦堂には三国伝来と伝える釈迦仏を安置する。

朱塗りの特徴的な赤門が迎えてくれます。

インド原産のキョチクトウのお寺といわれているとのこと。
鮮やかなピンク色のお花です。

お隣には浄福寺幼稚園が併設されており、
元気いっぱいの歌声が聞こえてきて、頬がゆるみます。

首途八幡宮

思わず首途を「しゅと」と読んでしまいそうになりますが、
「かどで」と読むのですね。

それは門出のことを指し、旅立ちの意。

八幡宮というから、はちまんさんで親しまれている八幡大神を
お祀りしていることがわかります。

首途八幡宮は大分県宇佐市にある全国に約44000社ある
八幡宮の総本山の宇佐神社から八幡大神を勧請したのが始まり。

祭神
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
比咩大神(ひめおおかみ)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

かつてこの地には奥州で産出される金を京の都で売買することを
仕事にしていた金売吉次の屋敷があったと伝えられ、
源義経(牛若丸)は奥州平泉の藤原秀衡の元に赴く際に、
吉次の助けを得てここで道中の安全を祈願した出発したと伝えられている。

この由緒により、元の名であった内野八幡宮が「首途八幡宮」
と呼ばれるようになった。

さて、入り口には「源義経奥州へ旅立ちの地」という看板が立っています。
義経に習ってか、やはり旅の安全祈願で信仰を集めているそうです。
境内には祭神の他に弁財天が祀られていました。

本隆寺

法華宗真門流の総本山で、
正しくは慧光(えこう)無量山本妙興隆寺という。
法華宗京都八本山のひとつ。

境内は3300坪ある。

本堂、祖師堂、客殿、番神堂、経蔵、鐘楼、宝蔵、
南門、塔頭八ヶ院などの諸堂をもつ。

枕の下に葉を敷くと夜泣きが止むという「夜泣止めの松」がある。


開山は日真で、後の後柏原天皇より、日蓮聖人の正当な流れ
であることを証明する大和尚の称号が下賜された。

1488年に四条大宮に創建されたものの、
4代目日映のころの天文法華の乱.により焼失。
1542年に現在地に再建。

以後、1度焼失するが、1657年に再建。


1730年の享保の大火(西陣焼け)と
1788年の天明の大火の2度の大火があったが、

天明の大火は京都の歴史上最大の火災であった。
どちらの大火も西陣一帯が焼け野原となったが、
こちらの本堂は焼けなかった。

それは当寺が祀っている鬼子母神の霊験によるものである
とされ、「不焼寺」と呼ばれるようになる。

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