京都の神社仏閣を巡る

上御霊神社 鞍馬口駅周辺を歩くその1

本日のスタート地点は地下鉄烏丸線鞍馬口駅。
そこから徒歩3分の上御霊神社が本日1社目の神社仏閣です。

祭神
崇道天皇(早良親王)
吉備真備(きびのまきび)
橘逸勢(たちばなのはやなり)

上記をはじめ、十三柱の神霊を祀る。

この地には元来、付近住民の氏寺として
創建された上出雲寺があったが、794年の平安京遷都
に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として、
奈良時代・平安時代初期に不運のうちに亡くなった八柱の神霊が
祀られたといわれ、その後、明治天皇の御願により祭神五社が増祀され、
現在に至っている。

朝廷から庶民まで幅広く信仰を集めたが、特に御所の守護神として
皇室の崇敬が厚く、神輿や牛車など、皇室からの寄付品を多数蔵している。

このように、上御霊神社は怨霊を鎮めるのが目的であることが
案内よりわかりますね。

平安時代には天変地異や疫病などが流行り、それは無念の死を遂げて
怨霊になった者の祟りではないか?として、その怨霊を神として祀り、
祟りを避けて、守護神となっていただくというものです。

では、多くの神社で祭神となっている崇道天皇についてだけ
触れておきましょう。

崇道天皇というのは尊号であり、本来は早良親王になります。
彼は無実の罪にて放流されますが、その経緯を下記に記します。

まずは奈良の都から長岡京に遷都されましたね。
その中で、長岡京の造営においての中心であった
藤原種継という人物が何者かによって暗殺される事件が起きます。

重要な側近を失った桓武天皇は大激怒。
この事件に関わった可能性のある周囲の人物を
次々に厳罰に処していきます。

その疑いは実の弟であった早良親王にもかけられました。
桓武天皇は早良親王を長岡京にある乙訓寺に幽閉し、
のちに淡路島に流します。

早良親王は無実を訴えるために一切食事をとらずに
淡路島に向かう途中で亡くなります。

この後、桓武天皇を次々と不幸が襲います。
身内が次々と亡くなっていくのです。

さらに自然災害や疫病なども流行り、窮地に追いやられた
桓武天皇は陰陽師に原因を探ってもらうことにしました。
すると、早良親王の祟りであることが判明しました。

これを聞いた桓武天皇は厳罰に処していた人物を次々赦し、
早良親王には尊号を与えました。
やがて、平安京に都を移し、早良親王他、無念の死を遂げた霊を
慰めるために神社を建て、立派に祀ったのですね。

さて、境内は木々が生い茂り、静寂さに包まれていて、
心地よさを感じます。

この場所は「御霊の杜」と呼ばれており、
応仁の乱の発端となった畠山政長と畠山義就の合戦が行われた
場所だそうです。

今やその血生臭さも夢の跡。

本殿を参拝後、
こちらの福壽稲荷神社が目に飛び込んできたので参拝させていただきます。

鳩が一羽、人目を気にせずのんびりしていました。

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